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お米の歴史を年表でみていく|地元のお米を使うことにこだわる理由

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こういう人に読んで欲しい
 ✔ お米の歴史の年表を探したい
 ✔ お米は本来どうあるべきか?
 ✔ これからも安心したお米を食べていきたい

この記事を読むとこうなります
 ✔ お米の歴史の年表を時代ごとに理解することができる
 ✔ 地元で作ったものを地元で消費するメリットが分かる
 ✔ 笑屋が地元のお米を使っている理由が分かる

毎日1回は口にするお米。
みなさんどのくらいお米のことを知っていますか?

お米って、昔っから日本人と共にあったんです。

そこで今回、地元の食材を愛する米粉入りのたこ焼き屋が、お米の歴史の年表を解説していきます。

お米の歴史の年表を時代ごとに解説

お米の歴史の年表を時代ごとに解説

まずお米の歴史の年表を解説していきます。

時代年代お米の食べ方と食事の変化
弥生時代2000年以上前水とお米を入れた土器を火にかけ、かゆをつくって食べていた。ほかにはアワなどの雑穀、山菜や木の実、野生動物の肉や魚などを食べていたと考えられている。
古墳時代約1800年前朝鮮半島からカマドが伝わり、コシキという蒸し器を使って米を蒸した「強飯(こわいい)」が食べられるようになった。米の収穫量が増え、米食の習慣が広まった。
奈良時代約1300年前強飯のほかにも固いお粥である「固がゆ」も登場し、さらに蒸した米を乾燥させた「干し飯(ほしいい)」なども食べられるようになった。また乳製品を食べる貴族もいた。
平安時代約1200年前固がゆよりもさらに固い「姫飯(ひめいい)」が登場し、貴族の間で人気となった。貴族の食事は、蒸しアワビや魚の切り身、焼き鳥などの料理からなる豪華なものだった。
鎌倉・室町時代約800年前羽釜(はがま)とよばれる鉄のカマが登場。武士の食事は、数種類のおかずに塩などをつけて食べることが多かった。
江戸時代約400年前フタつきのかまで水がなくなるまで炊く「炊き干し(たきぼし)」という、今とほぼ同じ炊飯方法が広まった。武士や町人の食事は、麦ごはんに煮物、漬物、汁が中心だった。
明治・大正時代約150年前食事の内容は、江戸時代から大きく変化していない。西洋文化の影響から、それぞれが自分の膳で食事をとるスタイルから、食卓を囲んで食べるようになった。
昭和時代約90年前1955年に電気炊飯器が発売され、だれでも手軽にご飯を炊くことができるようになった。ハンバーグやカレーなどがよく食べられるようになった。
平成時代約30年前新食糧法が施行され、お米の流通が自由になった。1993年には不作により、輸入米が輸入されるようになった。
お米の食べ方と食事の変化

一つ一つみていきましょう。

弥生時代

日本人は稲作が伝わった3000年ほど前から、お米を食べてきました。
その当時は、今のようにお米を炊くのではなく、煮たりして「お粥」のようにして食べていました。

古墳時代

古墳時代になるとそれまで、煮ていたお米も蒸すようになりました。

奈良時代

現在では多くの場合、家族が一つの食卓を囲んで食事をとります。
しかし、奈良時代ごろから明治時代ごろまでは、それぞれ一人分の食事をのせた自分の台で食事をすることがほとんどだったと考えられています。
いわゆるお膳ですね。

平安時代

平安時代になると、足が長い高坏(たかつき)とよばれる膳などが登場しました。

鎌倉・室町時代

今まで、煮たり蒸していた調理方法が炊くに変わりました。

江戸時代

江戸時代になると、庶民の間でもだんだん膳が使われるようになっていきます。
この時代の膳は「箱膳(はこぜん)」と呼ばれ食べるときには膳として使い、食べ終わると中に食器を収めることができました。
地方の村では、昭和時代になるまで使われていたそうです。

明治・大正時代

このころから食卓を囲んで食事をとるスタイルに変わったといわれています。
カレーライスなどの西洋料理が食べられるようになったのもこのころ。

昭和時代

電気炊飯器が発売されて「誰でも・手軽に」ご飯を炊くことができだしました。
それと同時に食の多様化でお米の消費量が減っていきました。

平成時代

国民の所得が増えてきて、「新食糧法」という法律によって流通ルートが幅広くなることによってお米を「買う側」「売る側」の自由が大きくなった。
その善し悪しは別として、影響は大きいですね。

ぼくが思うに、地元のものを地元で消費していくのが一番ロスがなくいいんじゃないかなって思うんです。
少し、まとめてみます。

お米の歴史から考える地元で作ったものを地元で消費するメリット

お米の歴史から考える地元で作ったものを地元で消費するメリット

次に、お米の歴史から踏まえ、地元で作ったものを地元で消費するメリットをお伝えしていきたいと思います。

いわゆる「地産地消」ですね。

メリットは、お米を食べるひととお米を作る人、両方にメリットがあるんです。

「食べるひと」のメリット
✔ 生産者の顔が見えるので、安心して購入できる
✔ 旬の農産物を新鮮なうちに手に入れられる

「作るひと」のメリット
✔ 「食べるひと」の声を直接「作るひと」が受け取ることができるため、モチベーションのアップにつながる
✔ 規格外の農産物も販売できる
✔ 流通コストが減る
✔ 「食べるひと」のニーズを把握しやすい

詳しくみていきましょう。

「食べるひと」のメリット

お米を食べるひとは、できるだけ美味しくて安いお米を食べたいと思いますよね。
ぼくの住んでいる今治では、「地産地消」で次のような取り組みをしています。

今治市が力を入れている「地産地消」
✔ 学校給食
✔ 地産地消を応援してもらおうとする運動
✔ 地元の人の農作物を購入できる「さいさいきて屋」

ここら辺のことは、今治市のホームページをみてもらった方がいいですね。

今治市のホームページ「地産地消の推進」

これらはすべて、

「食べるひと」のメリット
✔ 「作るひと」の顔が見えるので、安心できる
✔ 旬の農産物を新鮮なうちに手に入れられる

につながるんじゃないかなって思います。
次に、「作るひと」のメリットについてお話します。

「作るひと」のメリット

「作るひと」もやっぱりお客さんの顔が見れた方がうれしいと思います。
少なくとも僕はたこ焼きを食べてくれる、買いに来てくれるひとと顔をみて話すのが楽しいし、これからも頑張ろうって思います。

まとめてみるとこんな感じです。

「作るひと」のメリット
✔ 「食べるひと」の声を直接「作るひと」が受け取ることができるため、モチベーションのアップにつながる
✔ 規格外の農産物も販売できる
✔ 流通コストの削減が減る
✔ 「食べるひと」のニーズを把握しやすい

笑屋が地元のお米を使っている理由

笑屋が地元のお米を使っている理由

ぼくがなぜ、地元のお米を使ってたこ焼きを焼いているかという説明をすると、笑屋をするきっかけを話すことにもなります。

ぼくの伯父は農家で、お米作っています。
機械があるので、昔と比べるとずいぶん楽になったとは思います。

とはいえ、作物を育てるには根気と地域みんなの協力が必要です。
そんなにも汗水たらして育てたお米を、

✔ お米を卸しても、安く買われる
✔ 機械代だけで儲けがない
✔ 農家だけでは生活が難しい・・

そう伯父は嘆いていました。
ぼくはその姿をみて、「なんとかできんかな・・」と思いました。

今回お伝えした、お米を自由に売り買いできるようになったことは良いこと。
売れる産地・銘柄のお米は良いかもしれない。
しかし、お米が消費されないところはどんどんその価値が下がっていくんじゃないかな・・

お米はフツー炊いて食べるけど、たこ焼きにしてみたら面白いな。
ということで、米粉入りたこ焼きができたんです。

多くの流通している銘柄米は必ずしも100%その品種だけが袋に詰まっているかは判らないんです。
「コシヒカリ」も販売元によって様々な値段が付いています。
安いものには、それだけ別のお米がミックスされていると言う事なんです。

ぼくは、100%今治産のお米を使ってたこ焼きを焼きたい。
※小麦粉とはブレンドしています

そういう思いで、笑屋をやっています。

お米にはお米のメリットがあります。
それは追々お話していけたらいいな。

今回は、お米の歴史の年表の話をさせていただきました。

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